2009年7月13日月曜日

河合塾でお話

河合塾でお話

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教育者が教場で行う仕事は一つだけである。
それは子どもたちの知性のパフォーマンスを向上させることである。
それに尽きる、と申し上げてよろしいであろう。
子どもたちの知的な不調の原因の過半は彼ら自身が自分の脳を活性化する術を理解していないからである。
学校ではなかなか教えてもらえない。
というのは、「機嫌のよい教師」「いつもにこにこしている先生」にあまりお目にかかる機会がないからである。
まことに理解に苦しむことであるが、「機嫌のよい教師」「いつもにこにこしている先生」を組織的に生み出すことの教育上の有効性について理解している人は教育行政の要路者の中にも教育について語る知識人の中にも、ほとんどいない。
脳の機能についてまじめに考えればすぐにわかるはずである。
私の知人友人の中には脳科学の専門家が養老先生、茂木さん、池谷さんと三人いる。
三人に共通しているのは、「オープンマインド」ということである。
いつもにこにこしている。
これは「たまたまそういう人だった」ということではない。
この方々は、人間は「理解しがたいこと」を受け容れ理解しようと願い、それを受け容れるために脳の容量を押し広げているときに脳の情報処理能力が最高速になることを体験的にも理論的にも熟知しているからである。
「心を開く」ときに、脳の演算能力は向上し、「心を閉ざす」ときに、脳の機能は劣化する。
怒ったり、憎んだり、嫉妬したりしているときに知性の機能が上がるということはない
これは確かである。
だから、「怒っている知識人」とか「不機嫌な研究者」というのはそもそも形容矛盾なのである
怒ったり不機嫌になったりしていたら脳のパフォーマンスが下がることを知らないのなら、彼らは知的職業に就くべきではない。
知っていてそうしているなら、彼らは自分の脳の機能を最大限まで向上させなければ対処できないようなチャレンジングな課題に直面していないということになる。
つまり、平たく言うと、「怒っている知識人」とか「不機嫌な研究者」というのは定義上「バカ」か「怠け者」か、その両方だということなのである(というようなことを書いてまたまた人を怒らせたら元も子もないじゃないか・・・というご叱正の声が聞こえてはくるのであるが)。
ともあれ、若い人たちは「自分の脳の機能をどう向上させるか」という課題に最優先で取り組んでいただきたいと思う。そして、それは「オープンマインドで生きる」ということである。
というわけで、実践的な教訓をいくつかご教授しておこう。
他人と意見が違ったら、とりあえず「キミの言う通りだ」と言ってみる。
そして、自分と意見の違う人の頭の中ではどういう推論がなされているのかを想像的に追体験してみる。
これは脳の容量を拡大するきわめて効率的な方法である。
他人が言っていることの意味がわからなかったら、とりあえず「にっこり」笑って、「ふんふん、で、それって具体的にはどういうことなの」と訊いてみる
これは他人の知性のパフォーマンスを上げるよい方法である。
どう考えても、「バカと話す」よりは「賢い人と話す」方が愉快であるし生産的でもあるので、自分と話す相手の知性を向上させるためには不断の努力を怠ってはならぬのである。
とりあえずそれくらいから始められてはいかがであろうかと思う。

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