2009年5月16日土曜日

オスマン帝国(1299-1922)の盛衰

建国、発展
オスマン1世オスマン帝国を建国(1299)
コソヴォの戦い→セルビア制圧(1389)
バヤジット1世、ニコポリスの戦い(1396)でジギスムントら撃破

アンカラの戦い(1402)…亡国の危機
バヤジット1世、ティムールに大敗→捕虜に

帝国の再建、拡大
メフメト2世ビザンツ帝国滅ぼす(1453)
イスタンブルへ遷都
セリム1世、マムルーク朝滅ぼす(1517)
→メッカ、メディナの支配権獲得

スレイマン1世(1520-66)
モハーチの戦い(1526)→ハンガリー獲得
第1次ウィーン包囲(1529)…カール5世圧迫
プレヴェザの海戦(1538)…スペイン等を破る

衰退の兆し
レパントの海戦(1571)…スペイン等に敗北
第2次ウィーン包囲→失敗
カルロヴィッツ条約(1699)…オーストリアにハンガリー割譲

諸民族の自立と改革
ワッハーブ派、ワッハーブ王国建国(1744頃-1818、1823-89)
ムハンマド・アリーが自立(エジプト、1805)
ギリシア独立戦争(1821-29)
ギュルハネ勅令(1839)→タンジマート開始
クリミア戦争(1853-56)
ミドハト憲法発布(1876)…アジア初の憲法
露土戦争(1877-78)…戦争を口実に憲法停止→アブデュル・ハミト2世の専制
ベルリン条約(1878)→バチカン諸国独立

青年トルコ革命―ドイツへの接近
青年トルコ革命(08)…憲法復活
バルカン戦争(12-13)→イスタンブル以外のヨーロッパ側領土喪失→ドイツ接近
WWⅠ…ドイツ(同盟国側)で参戦

オスマン帝国→トルコ共和国
セーヴル条約(20)…半植民地状態に
ムスタファ・ケマルトルコ革命(19-23)
ローザンヌ条約(23)…独立を維持
トルコ共和国建国

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