2009年4月19日日曜日

ソ連邦の歴史

スターリン時代
レーニンの死後、一国社会主義を唱えるスターリンと世界革命論を主張するトロツキーが対立
→スターリンが勝利、トロツキーを追放→独裁化
当初、国際社会から無視されていたが、20年代中頃に列強から承認される→34年には国際連盟に加入
第1次5カ年計画開始(28)
 工業化、農業の集団化(コルホーズソフホーズ
大粛清個人崇拝を強化(36頃-)
独ソ不可侵条約締結(39)
ドイツのポーランド侵攻に乗じて同国東半を占領
ソ連=フィンランド戦争→国際連盟除名
独ソ戦争(41-45)…連合国の一員に
コミンフォルム結成(47)
 マーシャル・プランに対抗
死去(53)→東西の緊張緩和(雪解け)

フルシチョフ党第一書記(53-64)
スターリン批判(56)
ソ連共産党第20回大会で行い、同時に平和共存路線を表明
*スターリン批判を機に中ソ対立表面化
キャンプ・デーヴィッド会談(59)
キューバ危機(62)→ミサイル撤去
農業政策の失敗から解任される(64)

ブレジネフ書記長(64-82)
社会の停滞と党官僚の腐敗進む
アフガニスタン侵攻開始(79)

ゴルバチョフ書記長(85-91)
ペレストロイカグラスノスチを推進
INF(中距離核戦力)全廃条約調印(87)
アフガニスタン撤兵開始(-89)
マルタ会談(89)…東西冷戦の終結を宣言
ソ連共産党解散(91)
ソ連消滅(91)→CIS(独立国家共同体)

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