2009年4月12日日曜日

イギリスの革命

◆ステュアート朝成立(1603)
エリザベス1世の死→チューダー朝断絶
スコットランド王のジェームズ1世が即位

◆チャールズ1世
権利の請願→議会停止
イギリス国教会を強制→スコットランドの反乱

ピューリタン革命
短期議会、長期議会→王党派と議会派の内戦
鉄騎隊を組織した議会派が勝利

◆共和制(コモンウェルス)
チャールズ1世処刑、アイルランド征服
独立派のクロムウェルが水平派、長老派を弾圧
航海法→第1次英蘭戦争
クロムウェル、護国卿就任→独裁化

王政復古
クロムウェルの死で長老派が勢力復活
長老派が王党派と妥協→チャールズ2世即位
カトリック、絶対王政の復活をはかる(ルイ14世との密約による)
審査法
人身保護法
ホイッグ党、トーリー党の2大政党成立

◆ジェームズ2世
カトリック教徒、専制的→議会は反発

名誉革命(1688-89)
議会がウィリアム3世とメアリ2世をオランダから招く
→権利の宣言を承認して即位
権利の宣言を権利の章典として法文化
議会主権の立憲王政が確立

アン女王
イングランドとスコットランド合併→大(グレート)ブリテン王国成立

ハノーヴァー朝(のちのウィンザー朝)成立
ジョージ1世はドイツ出身→内閣中心の政治
ウォルポールが責任内閣制確立、「君臨すれども統治せず」

0 件のコメント:

コメントを投稿