2009年4月26日日曜日

ビザンツ帝国史

ビザンツ帝国の特徴
皇帝教皇主義…皇帝がコンスタンティノープル総主教の任免権をもつ
西ヨーロッパと異なり商業は衰退せず、コンスタンティノープルは東方との交易で繁栄

ローマ帝国東西分裂により成立(395)
ゲルマン民族移動の影響受けず、長期存続
エフェソス公会議(431)…ネストリウス派異端

ユスティニアヌス(527-565)
東ゴート王国、ヴァンダル王国を滅ぼす
→地中海帝国再興
ササン朝のホスロー1世と抗争
『ローマ法大全』編纂をトリボニアヌスに命じる
ハギア・ソフィア聖堂建立
アカデメイア(プラトン創設)閉鎖

ヘラクレイオス1世(610-641)
イスラーム勢力にシリア、エジプトを奪われる
テマ制(軍管区制)導入
ギリシア語の公用語化

レオン3世(717-741)
ウマイヤ朝撃退
聖像禁止令→ローマ教皇と対立
ローマ教会とコンスタンティノープル教会は首位権をめぐって対立

バシレイオス2世(976-1025)
妹をキエフ大公ウラディミル1世に嫁がせる
ブルガリア王国(第1次)滅ぼす

アレクシオス1世(1081-1118)
軍管区制からプロノイア制へと移行
セルジューク朝の圧力→ローマ教皇に救援要請

ラテン帝国(1204-1261)
第4回十字軍→コンスタンティノープル陥落

ビザンツ帝国滅亡(1453)
オスマン帝国メフメト2世による

0 件のコメント:

コメントを投稿