トートロジー:定義の中に定義されるべきもの自身が現れてしまっていること。同義語反復、類語反復、同語反復
「僕は僕だ」のような表現は論理学的には自明で無意味なものであるが、言語表現としての同語反復は修辞の一種であるので、一定の情報を含み得る。
「AはAである」は、例えば「AはあくまでAであって他のものとは異なる」という注意喚起、あるいは「Aは所詮Aであってそれ以上ではない」という主張、等々の筆者(話者)の意図を含み得る。 同様に「AはAであり、BはBである」は、例えば「AとBを混同すべきではない」という注意喚起、あるいは「AとBは(ある文脈で)異質である」という主 張、等々を含意し得る。
関連した概念に冗語があり、しばしば同じ意味で使われることもある。また、撞着語法はトートロジーの反対の技法である。
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