2009年6月29日月曜日

翻訳者が語る『ブラック・スワン』 原書発売から訳書発売までに見たこと

翻訳者が語る『ブラック・スワン』 原書発売から訳書発売までに見たこと 

2007年春に原書のThe Black Swanが発売されてから2年が経った。その間、金融市場は大荒れし、金融機関はバタバタとハエのように落ち、著者のナシーム・ニコラス・タレブの名前が マスコミに出るようになり、ブラック・スワンはヘッジファンド用語の一つに挙げられるようになった。ついでに、ウェブ上でもあちこちで『まぐれ』や『ブ ラック・スワン』やタレブの名前が見られるようになった。

訳書のあとがきを書くとか、ばっちり決まる訳を思いつかない言葉に定訳はあるか調べるとかの都合があって、たびたび「タレブ」とか「ブラック・スワン」と か「黒い白鳥」とかでウェブを検索してみた。そこでわかったことがある。ウェブ上で本書に言及しているブログやサイト、実は次のパターンが多い。

(a)まったく読んでいない。ブルンバーグ・ニュースとか、他の人のブログに出ているのを見たってことだろう。ブログは日々の雑感を書くところみたいだからかまわないわけだが、書いてらっしゃることを見れば読んでないのはバレバレなんだし、恥ずかしくないんだろうか?

(b)流し読みしただけ。これはぼくが翻訳担当で、一言一句もらさず隅々まで読んだせいでそう思うのかもしれない。本なんてそんなじっくり読む人たちではないってことでしょう。でも感想文は書きたくて、書いたら誰かに見てもらいたいみたいですね。

(c)全部読んだけど語り口または日本語訳または内容が気に食わない。語り口が気に食わないって人たちには、それは残念でした、投資は自己責任ですから、まあ今度本を買うときはまず立ち読みしましょうねとお慰めするぐらいしかできない。

 これ以外にも、全部読んで内容に同意、または気に入ったというのももちろんある。それから、全部読んだうえで内容が気に食わないという部類の人た ちなら、中身のあることを言っている可能性があるのでご意見を伺うに値すると思う。でも、そういう人たちのことをここで書いてもぼくが面白くない。そこ で、以下、よく見る勘違いとか、ちゃんと読んでないがゆえのはずし方をいくつかあげつらって遊ばせていただくことにする。

(1)「サブプライム危機を予測した本」。たしかにタレブは証券化商品市場が崩れた2007年の春より前からCDOは危ないとか証券化商品は危ない とかと言っていたような気がするが、『ブラック・スワン』にそういう話が直接出てくるかというと、実はそうでもない。タレブが危機を予言したなんていうの は、どちらかというと矮小化だろう。今度何かが起きたときにタレブが違うことを言っていれば、この手の皆さんは「だまされた」だの「えらそうなことを言っ ておいて」云々だのと言い出すんじゃないか? 人を勝手に占い師に分類しておいて、外れたと言っては勝手に騒ぐ、まことにお祭り好きな人たちである。

(2)「ナイトの不確実性とリスクを扱った本」。黒い白鳥が「ナイトの不確実性」だと言っている人がいたら、その人はほぼ間違いなく本書を読んでい ません。読んでるとしたら、きっとフランク・ナイトの関係者の方です。確率分布がわかるランダム事象=リスク、そういうものさえわからないランダム事象= 不確実性という区別は、シカゴ周辺でできたものではないのに、どうして経済学者の皆さんは自分らの身内が発明したネタだってことにしないと気がすまないん だろう、なんて話が本書には出てくる。そう書いてあるのを読んで、それでもナイト云々と言いたいとしたら、そりゃ関係者だからでしょうきっと。

(3)「正規分布を否定するなんてどこのトンデモだ、こいつは」。学界方面でもときどきおられるとタレブも書いているが、これはどう見ても読んでい ない人の反応である。『ブラック・スワン』は、最初から正規分布などが使える世界や変数(物理法則に縛られる)と使えない世界や変数(物理法則に縛られな い)の区別を強調しているし、そのうえご丁寧にいろいろな変数をそれぞれの世界に分類したリストまで出てくる。つまり、タレブは正規分布を否定していな い。ただ、正規分布が使えない領域があって、それなのにそんな領域で正規分布を使っている連中がいると言っているのだ。たとえば、株式のリターンにも大数 の法則は確実に働いて、極限ではたしかに正規分布になるのかもしれないが、極限とはたかだか過去数年の日次データのことではない。

(4)「タレブはレバノン内戦を経験したからこういう考え方になった」。この点では、実はぼくも決して人のことを言えない。『まぐれ』をはじめて読 んだときに「ああこの人は若いころにレバノン内戦に遭ってたいへんな思いをして、こういう境地に至ったのだなあ」と思った。ぼくのそんな浅はかな読み筋は 『ブラック・スワン』で完膚なきまでに叩きのめされている。

 そんな前評判とは無関係に、ぼくが読んだ『ブラック・スワン』は、トレーダーのノリ全開で抱腹絶倒のエッセイである。これから読まれる皆様も、ぼくと同じぐらいゲラゲラ笑いながら読んでくださればと思う。

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