2009年6月13日土曜日

ウィーン体制とその崩壊

ウィーン会議(1814-15)
オーストリア外相メッテルニヒが主導
正統主義(フランス外相タレーラン)&勢力均衡
ウィーン議定書(1815)
ドイツ連邦成立(盟主はオーストリア)
フランス&スペインでブルボン朝復活
オランダ、南ネーデルラント獲得
オーストリア、ロンバルディア獲得
ポーランド立憲王国成立
イギリス、ケープ植民地・セイロン島正式領有

ウィーン体制の補強
神聖同盟(1815)…アレクサンドル1世の提唱
四国同盟→五国同盟…英露墺普仏

ウィーン体制の動揺
◎各地で自由主義、ナショナリズムの動向が見られたが、その多くは弾圧された
ブルシェンシャフトの結成(ドイツ、1815)
カルボナリがイタリア各地で革命運動を展開
スペイン立憲革命(1820)
デカブリストの乱(ロシア、1825)


ギリシア独立戦争(1821-29)
ラテン・アメリカ諸国の独立…メッテルニヒは弾圧しようとしたが、海外市場の拡大を狙うイギリス(外相カニング)は独立を支持

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